インターネット上で,精神病棟に入院している人が,育ての親ではなく,実母に育てられたかったと嘆いて,泣いているという話を見た。
子どもの頃,育ての親に対して,実母の所に戻りたいと言ったが,戻れなかったらしい。
そして,その人は,そのことで,育ての親を恨んでおり,親子の縁を切りたいと思っているらしい。
また,その人は,育ての親だけでなく,その病院の院長,看護師なども全て恨んでおり,そのことを入院先から電話で,様々な機関に電話をし,早くそこから退院したいと頻繁に電話をしているようだ。

これを読んでの感想だが,人は誰でも,嫌な過去を抱えているし,人を恨むなどのマイナスの感情を持っている。でも,いつまでもマイナスの感情を抱えるべきではない。そういう心が起こったならば,その心を振り払うのがよかろう。

ただし,そういう負の感情をゼロにするのは,なかなか難しい。でも,マイナスの感情を少なくしたとき,本来,その人が持っている前向きな心が蘇ってくるのではないだろうか。

神道では,宮司がお祓いをしてくれる。何をはらうのかというと,我欲・我見の異心である。
仏教でも,キリスト教でも,問題としているのは,つまるところ,マイナスの感情をいかに振り払うかに尽きるのではないかと思う。

周囲の人を恨んでいる限り,その人は,精神病棟から退院できないだろう。
どこかで,気持ちに区切りをつけるしかない。

我々日本人が,困ったことがあったときに,振り返るべきは,古事記である。
古事記には,マイナスの感情が起こった時に,神々がどうしたかが書かれている。
イザナギは,イザナミを後を追って,黄泉の国に行ったときに,イザナミから自分の姿を見ないでと言われたにもかかわらず,ウジ虫の湧いている醜態なイザナミの亡骸を見てしまった。
そして,イザナミに追われながらも,何とか抜け出し,地上に出て,イザナミに別れの言葉を告げた。
その後,川に入り,穢れから身を清めたところで,イザナギから生まれたのが,三貴子と言われる,アマテラス大御神,ツクヨミ,スサノオである。

ケガレとは,マイナスの感情そのものだろう。
古事記では,それを身を清めることで振り払い,本来の自分を取り戻したことで,イザナギが偉大な精神を取り戻したことを示唆している。

このことを顧みると,我々の普段の生活でも,自分より偉くなっている人をみたり,豪華な生活をしている人をみたときに,嫉妬したり,羨ましいと思うことがある。
そういう時は,フッと,その心を振り払えばよいことがわかる。

聖徳太子の17条の憲法では,人を妬むなという条文がある。
これも,人には,マイナスの感情があることを認め,それを振り払う大切さを古典が伝えている。

キリスト教徒が困れば,聖書をよりどころとするが,我々日本人が困った時は,古事記などの古典をよりどころとすべきだろう。